猫の看護・介護の不安との付き合い方

パンパンに膨らんだ風船を割ろうとしているところ 猫さん
猫さん飼い主メンタル
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たとえば夜寝る前、
「寝てる間に吐き戻したらどうしよう…。」
「明日は毛玉吐かないかな…。うう…。」
と不安になったり。

はたまた、猫さんがちょっと体調を崩しているだけで、最悪の状況を思い描いて不安になったり。

猫さん看護・介護に不安は付きものですが、私は過剰に不安になってしまうタイプです。
それこそ、精神の安定を欠くほどに。

主人に「不安だ」とこぼしても、「気にしすぎだよ」と取り合ってもらえないし…。泣

インターネットで「高齢猫 介護 不安」などと検索しても「そうじゃない」記事ばかりがヒット。

それで、孤独感を覚え、
「こんなに不安になる自分がおかしいのかな…。」
と、また違った不安が首をもたげてくる始末。

今はここまでひどくはないのですが、不安は常にあります

でも、付き合い方を変えたので、精神的には安定してきているのではないかと。

この記事ではそんな私の不安との付き合い方についてお話していきます。

不安の根っこは何だろう?

ある時、不安感にぶん回されるのがほとほとイヤになって、なぜ不安になるのか、その根っこを探ってみました。

すると、こんなことが不安の根っこにありました。

  1. 目を離したすきに何か起こるかもしれない
  2. もし2ニャンズに何かあったら、全て私の責任 → 飼い主失格の烙印

①が理由となり、一時はトイレに行くのもためらわれるほどでした。
お風呂に至っては決死の覚悟で臨んでいました。今でもちょっと怖いですけど。

そこからの②です。
「自分の知らないところで何かが起きた挙句、自分のせいになるのではないか」…と不安でした。

「お前がついていながらなぜこんなことに」

と、肩を揺さぶられ誰かに責められるイメージです。

なので、何があっても目撃者でいられるように、2ニャンズから目が離せませんでした。
「目が離せない」と言ってもワクワク感は一切ありません。泣

でも、これでは見守りというより監視です。
相手が人間だったら「ウゼー」と一蹴されていたでしょうね。

不安を増長するもの

不安を増長するもの。わたし的には4つあります。

  1. 2ニャンズと言葉で意思疎通ができない
  2. 調べすぎ(AIとの対話含む)
  3. 完璧主義
  4. 「不安=ダメ」と思い、なくそうとした

2ニャンズと言葉で意思疎通ができない

もし2ニャンズと会話できたら、

「気持ち悪い?」
「大丈夫だよ、お風呂、入っておいでよ。」

…みたいな会話が可能ですよね。
めっちゃいいですね、これ。

でも、相手は猫です。
会話できません。

「言質を取ることができない」
このことが不安を搔き立てます。

私は人間相手でも言葉で意思確認を取るタイプです。
夫はたまにうんざりしているようです。笑
耳で聞いて、脳に通して安心したいんですよ。

でも、相手が2ニャンズの場合、情報源は非言語ですね。
耳も脳も通りますが、なんせ理解不能。

猫の鳴き声翻訳アプリなんぞも入れてはみましたが、
「…合ってんのか、これ?」
と不信感で不安になりました。笑

調べすぎ(AIとの対話含む)

2ニャンズが発する非言語を何とか読み取ろうとネットで調べまくり、ChatGPT参謀に聞きまくり余計に不安になったりしていました。

猫 吐くサイン
猫 しっぽ
猫 嘔吐 心配

検索結果を片っ端から読み漁るうちに、
情報量のキャパを超え、わけがわからなくなりました。

たぶん、「正しい情報を探す」という検索スタイルもよくなかったんだと思います。

「情報は呑んでも呑まれるな」
肝に銘じたいです…。

完璧主義

私は「テキトーにする」「ざっくり」が苦手です。
マニュアルがないと不安になるタイプ。
料理もレシピ片手にします。0.1g単位で量れるはかりがお友達です。笑

なぜかというと、「間違えるのが怖いから」。
この傾向は、未知の分野に対してより顕著になります。

この傾向を2ニャンズに当てはめて行動していました。
「間違えていないか」常時自分を見張っていました。

2ニャンズの体調が不安定になると、
「何を間違えたんだろう?」
と外部要因は一切考慮せず自分のせい(笑)

逆に間違えずに終えたときは、
「本当に間違えていなかったのか」「運が良かっただけなのでは」
と間違えなかったことを疑う徹底ぶりでした。
疲れました。

「不安=ダメ」と思い、なくそうとした

不安は「あってはいけないもの」でした。
当然、なくそうとしました。
でも、なくせませんでした。

理由は簡単です。
「不安になる理由を完全排除することはできないから」です。

よく聞かれるのが、

不安はなくそうとすると大きくなる

ということ。
逆を言えば、

不安の存在を認めれば小さくなるor大きくならない

ではないだろうか、と考えた私は、「不安と共存」することを考えなくては…と思いました。

突破口:「テキトーな人ならどうするか」

不安という気持ちでパンパンに膨らんだ風船のようだった私に、転機が訪れます。

毎日脳を使い倒して
たいして動いていないのに疲労困憊
もういやだ、こんなの

と思ったとき、不意に

テキトーな人になりたい

と強く思いました。

テキトーな人は超身近にいいお手本がいるし、私の完璧主義をもってすれば完コピ可能なのではないかと予想、すぐさまやってみることにしました。

それから、判断に迷い不安が訪れるたびに

「テキトーな人ならどうするか」

と自問自答、見よう見まねで「テキトーな人」をやってみました。こんな感じです。

  • 吐いた →「あ~出たかぁ」
  • 少し元気ない →「今日はそんな日かぁ」
  • 判断に迷う →「まぁ様子見で」
  • やたら食べたがる →「元気じゃなぁ」
    ※これは放置ではなく、「今すぐ結論を出さない」選択です。

はじめのうちは結構苦労しました。
だって、それまで
「吐いた…。何吐いた?毛玉は?いつ、何食べたっけ?」
とものすごい速さで思考を巡らせていたのを、

「あ~出たかぁ」

で終わらせるなんて至難の業です。

テキトーにするのに苦労するなんておかしな話ですが、テキトーって実は奥が深いと思いました。

その結果起こったこと

変化はありました。
いい変化なのかどうかわかりません、だってテキトーだから。
主な変化を書いておきます。

「不安でたまらない」はなくなった

ゼロにはならずとも、寝ても覚めても不安…みたいなのはなくなりました。

不安になったら
「テキトーな人ならどうするか、どう考えるか」
を考えました。

「不安な時間」を「テキトーな人検証時間」にすり替えただけなのですが、テキトーテキトーと考えているうちに不安を見つめ思い詰めずに済んだのがよかったです。

「テキトー」というワードを思い浮かべることでなんだか気が抜けるので、それも良い点だと思います。

自分の時間が増えた

テキトーな人はあまり考えません。
それで、それまで不安材料を検証していた時間が余るようになりました。

テキトーな人になり始めの段階では、この時間の扱いに困っていました。

ですが、「これは紛れもない自分の時間なんだ」と気づいて、スキマ時間でできることをするようになりました。

できることといっても、LINEマンガを読むとか、Netflixでアニメを観るとか、大したことではありませんが、自分を見失うほど不安まみれだった私には

「帰ってきた」

そう思えるほどに、自分を取り戻す感覚がありました。

おわりに

不安はなくなりません。
でも、不安に振り回されるか否かは自分で選べます

私は今日も
「テキトーな人ならどうするか」
と考えて、2ニャンズをテキトーにお世話しています。

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