母って偉い――猫の看病で気づいたことと、私の“おかあさん修行”

おかあさんの手に赤ちゃんの手が乗っている写真 猫さん
猫さん飼い主メンタル
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私には子どもはいませんが、愛猫ろりーちゃん、めいちゃんを自分が産んだ子のように思っています。猫でも子どもでも、大切な存在が病気になると、1に慌てて2に慌て、3・4がなくて…みたいに心が揺さぶられますよね。

今年(2025年)は、お正月明けてすぐ、めいちゃんの馬尾症候群に始まる体調不良に始まり、ろりーちゃんのヘルペスウイルス感染症再発、また高齢猫ならではの困り事に半年以上翻弄され続けました。

この記事では、自身も身体・メンタルともに大打撃を受けながら不断の看病(介護か?)を続けるうちに至った“ひとつの想い”について書いていきます。

猫の看病で気づいた「罪悪感と責任感」

めいちゃんの馬尾症候群についてはこちらの記事に詳しく書いていますので、よろしければご一読ください。

この記事の中ほどに、こんなことを書いています。

私にとってのこの5日間は、経験したことのない罪悪感とそこから派生する責任感にまみれた時間でした。つらかったです。

これは、めいちゃんを専門医に連れて行き、5日間の投薬(オンシオール)指示を出され、はじめて自分の愛猫への投薬を経験し、経過を見ている最中の心情です。

めいちゃんの辛そうな様子に気づいていたくせに、それが病気のせいであると思い至らず、いたずらに辛い思いをさせてしまっていたことに対する罪悪感や何とかしてあげなきゃいけないという責任感に24時間まみれていました。

自分がめいちゃんのことをとても大事に思っていることを改めて思い知らされ、なぜ放っておくことができたのかと悔いているそのとき、ふっと、

「自分の子どもが病気になったら…こんな気持ちがするんだろうか…辛いなぁ。」

と思いが頭をよぎりました。

でも、母や妹、子持ちの友だちのことを思い出してみても、彼女たちが
「〇〇で辛かった。」「もうどうしようかと思った。」
など嘆いているのは聞いたことがありませんでした。
でも、たまたま聞く機会がなかっただけで、みんなこのような思いは経験済みなのだろうと思うと、話を聞いてもらいたいような気がしました。

「でも人間の子と猫を一緒にしないで、って思うかもなぁ…。」

こんなことを考え、彼女たちに連絡を取るのは止めたのですが、この頃から「おかあさんという人種の性」を気にしだすようになりました。

とりわけ母のことは、おぼろげに覚えているできごとや母の言動を思い出し、その頃の母の心情を想像して同情・共感するようになっていきました。

看病の中で思い出した母の姿ー昭和のワンオペ育児

私は三人姉妹の長女で、一族の中の初孫です。
また、父が長男だったため、母は「将来の統領候補」を立派に育て上げなければというプレッシャーがあったと聞いたことがあります。

父は製薬会社のプロパー(現在のMR)、当時はバブル期前夜でイケイケドンドンな潮流のさなか、私が産まれるや否や縁遠い土地へ転勤となりました。
毎日午前様で出張も多かったため、母は実家から遠く離れた土地でたった一人で私を育てなければなりませんでした。

接待を終え夜中に帰ってきた父に、「寂しい」「不安でたまらない」などと吐露する母の様子を見た記憶がおぼろげにあります。

そして2年後、妹が産まれました。
父は昇進しますます忙しく、魔の2歳児と新生児を抱えた母。
今思うと、あれはRPGで言う“ハードモード”どころか“裏ボス同時出現イベント”だったのでは…。そんなエンドレスワンオペ育児が続いていきました。

生活するには物資・食料が必要ですが、その買い出しひとつでも大変だったと思います。
移動手段は徒歩か自転車のみ。
徒歩圏内にスーパーがあったと記憶していますが、赤ちゃんをベビーカーに、そしてちょろちょろ動く2歳児を連れて買い物をし、買った物を抱えて帰ってくる…想像するだに冷や汗が出そうです。

現代のようにネットで何でも買える時代でもなく、宅配サービスも整っておらず、ましてや携帯電話もない時代です。

一度家を出ればいつ帰るかわからない夫、よく熱を出し頻繁に病院へ行く必要がある長女、電話代が高くつくと実家への愚痴電も諦め、まだ30にもならない若かった母はどんなにか辛かったでしょうか…。

…とまぁ、母から直接聞いたわけではないので想像でしかないところも多々ありますが、こんなことを考えているうちに、今の自分があるのは親のおかげなんだと心底思うようになりました。

そして、どんなに辛くても子育てを手放さなかった母に、深い感謝の念を抱きました。

そこから得た気づきと今の自分

こんなことを思い出しながら、かたや自分は猫の看護で苦労していたわけですが、母の苦労が間接的に私を励ましてくれていた気がします。

そしていつの間にか、世の中の“おかあさんと呼ばれている人”すべてに尊敬の念を抱くようになりました。

起きて、朝ごはんの支度をし、家族を送り出して自分も仕事へ行き、帰ってまたごはんの支度、それこそ夜眠りに就くまで、自分の時間を全部子どもに、家族に使う、尊すぎます。

私は自分のしていることがおかあさん方に比べ劣っているとか、そんな風には思っていません。
私は私でとても頑張った結果病んでしまったけれど、単にエネルギーを使い果たした、それだけだと思っています。

まだ回復の途中ですが、これまでたくさんの励ましとやさしさを受けました。
ろりーちゃん、めいちゃんも、物は言いませんが、鳴き声やしぐさで「ありがとう」を伝えてくれていると、私は信じています。

だからこそ、これからも「おかあさん」という存在を思い出しながら、猫たちと向き合っていきたいです。

母が私を支えてくれたように、私もろりーちゃんとめいちゃんの“ちいさなおかあさん”でありたい。

これからも猫たちと一緒に、“おかあさん修行”は続いていきます。
今日も小さな修行、がんばります。

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